人・社会・自然との関係性の中で響き合う建築空間を
協働でつくりだすデザイン技術者集団。
住まいを築くことは、実りある生命について考えることと同じです。人や自然につながるために、開いたり閉じたり。そんなしなやかで豊かな、生き物のような家。PDOはあなたとつくっていきます。
都会生活を離れて八ヶ岳の森に棲むこととなった人が、まず最初にうまくなるのは火のおこし方だろう。
わたしの設計した家ではほぼ間違いなく薪ストーブを装備する。また、これもほぼ間違いなく要望されるウッドデッキはBBQを楽しむためだ。
庭木の手入れで出た枯れ葉や枝を焚き火で処理するために石炉をつくることも多い。
森の暮らしは否応なしに火と向き合うことになる。
一枚の紙きれから、徐々に火を大きくして、炭や薪に着火できたとして、それを安定的な熾まで育てるのは簡単なことではない。
オートマチック、利便性重視の都会生活は人から直火を取り上げてしまった。
人にとってそもそも火とは?
暖として、灯りとして。害虫、獣を払う。土を焼いて器をつくる。
食物の加熱……などだろうか。
戦争では火力がそのまま戦力となる。
そうかといえば、古より火に集い、共同のシンボルでもある。
八ヶ岳の火の歴史を見ていこう。
南は編笠山から北端の蓼科山まで八ヶ岳連峰は長大だ。
裾野の広さから推定して赤岳を中心とした南八ヶ岳は、富士山よりも標高が高かったといわれる。
数百万年前の大規模な火山活動、山体崩壊、浸食がすすんで、岩がむき出しとなった荒々しい今の姿に至る。
対比的に夏沢峠以北の北八ヶ岳は苔むした森に覆われる。こちらの火山活動は600~800年前というから、聖徳太子さんから平安時代あたりの、地球の歴史尺からすればつい最近のことである。八ヶ岳東麓の小海町一帯は長細い大きな湖だったものが、この時の火山活動の一環で自然のダムが決壊し、暴れ川としての千曲川となった。
地名や山の名にそうした歴史が人の暮らしとともにあったことを想わせる。
人も八ヶ岳も、火とともにある多様な歴史を持つ。
中村大補 建築家

『平沢峠の獅子岩から見た八ヶ岳』。
一帯の岩石群は八ヶ岳の火山活動の中で形成された。
写真/松村 誠